2015年7月4日土曜日

Bar Musicのコーヒー豆のルーツである広島の純喫茶「中村屋」初代マスターの話し


原爆直後の広島で中村屋を始めた祖父の、初めて見る写真。たぶん今の僕の年齢より若い。抱かれているのは母だろうか。






今でも面影が残る旧中村屋店内にて。この祖父は、僕のいとこにそっくりだ。祖母も若い。






祖父は、猟銃の腕を猟犬と共に競う大会の日本チャンピオンでもあったという。たしかに昔の中村屋には、凄い数の盾やトロフィーがあった。戦時中はシベリアで戦車の砲台長として生き抜いたことも、関係しているのかもしれない。







この子達は、中村屋でまるで置き物のように何時間もお利口にしていたそう。後ろは、祖父の愛車だろうか。







かつての中村屋の休みは、月に一日あるかないかだったと、母は言っていた。僕が割りとタフなのは、祖父の血が流れているからだと思う。











僕は、お爺ちゃん子だった。


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