スタンリー・カウエルのソロ・ピアノ・ライヴが、いよいよ明日に迫りました。昨日UPしたディスク・ガイドはいかがだったでしょうか? 今夜は、2008年7月に『New World』 (Galaxy/1981)のリイシューに際して執筆したライナーノーツをどうぞ。
僕は、スタンリー・カウエルが大好きだ。いつの時代にも高い精神性を持って音楽と向き合い、美しいメロディーを奏でるこのピアニストのことを想うと、どうしても胸が高鳴ってしまう。
本ライナーノーツでは、彼の歩んだ軌跡を辿ることを中心に話を進めたい。スタンリー・カウエルというアーティストの全体像をより正確に把握することで、78年の11月に吹き込まれた本作『ニュー・ワールド』の理解とその評価もまた、より明確になると思うからだ。
スタンリー・カウエル――1941年5月5日、オハイオ州トレド生まれの黒人ピアニスト。父はヴァイオリン奏者、母は歌手、姉と妹もピアノを弾くという音楽一家に育つ。4歳より姉にピアノの手ほどきを受け、6歳のときにはアート・テイタムの前で演奏を披露したこともあったという。14歳で仲間と共に演奏活動をはじめ、17歳のころにはユセフ・ラティーフのバンドに参加するほどの腕前を示した。58年にカルフォル二ア州オーリバン・カレッジの音楽院、62年に南カルフォル二ア大学、66年にアン・ハーバーのミシガン大学を卒業し、音楽博士号を取得。同年、マリオン・ブラウン『ホワイ・ノット』のレコーディングに参加。
ジョン・コルトレーンという圧倒的な存在が世を去った67年、“モード”と“フリー”を抜けた“ジャズ”は、その絶対的価値基準と明確な方向性を失いつつあった。スタンリー・カウエルという知性は、そうした混沌とした時代の中で、着実に船を漕ぎ出す。マックス・ローチ『不屈の闘士』(アトランティック)、ゲイリー・バーツ『アナザー・アース』(マイルストーン)、ジャック・ディジョネット『ディジョネット・コンプレックス』(マイルストーン)、などのレコーディングに参加・楽曲提供を行う。この時点で名だたるミュージシャンからの信頼をいかに獲得していたかが伺い知れる。そうして69年にリーダー・アルバム『ブルース・フォー・ヴェトコン』(ポリドール)、『ブリリアント・サークルズ』(フリーダム)を相次いで吹き込む。
70年代に入るころには共にマックス・ローチの楽団で腕を磨いたチャールズ・トリヴァーとの双頭バンドとなるミュージック・インクを結成。同時にインディペンデント・レーベルであるストラタ・イーストをやはりトリヴァーと共に立ち上げる。60年代からの黒人民族運動の流れを汲み、黒人の自立、真のアフリカン・アメリカン文化の創造をテーマとしていたストラタ・イースト。そのスタイルとして当時画期的だったのは、吹き込みの許可を与えられたグループのリーダーをプロデューサーに指名するシステム。それはつまり、全てのグループのリーダーが間接的にレーベルの経営に関わりながら、同時に“音楽の自由”を手に入れるということを意味していた。高い志のもとに運営されたストラタ・イーストには、ギル・スコット・ヘロン、ウェルドン・アーヴァイン、クリフォード・ジョーダン、ビリー・ハーパー、プァラオ・サンダース、ヒース・ブラザース、シャーリー・スコット、シャメック・ファラーなど、多くの優れた黒人音楽家達が集結する。そこには思想家・カウエルの理想を追求する姿があり、それがレーベルの重要な求心力となっていたことは間違いないだろう。
一方、ミュージシャンとしてのカウエルは『インパクト』(Enja)を最後にミュージック・インクを退団するも、7人の鍵盤奏者(ハロルド・メイバーン、ソネリウス・スミス、ヒュー・ロウソン、ナット・ジョンソン、ダニー・ミクソン、ウェブスター・ルイス、スタンリー・カウエル)によって結成されたピアノ・クワイヤーの実質的なリーダーを務め、自身のトリオ名義でもドイツの名門ECMから『イリュージョン・スイート』を発表、その評価を決定的なものとする。73年には初のソロ・ピアノ・アルバムで屈指の傑作『ムサ』(ストラタ・イースト)を吹き込んだ。また、ニューヨーク州が設立したジャズの公的創造・発表機関であるニューヨーク・ジャズ・レパートリー・カンパニーのミュージカル・ディレクターにも就任するなど、この時期特に充実した活動をみせている。さらに75年には『レゲネレイション』(ストラタ・イースト)をレコーディング。これは総勢13人にも及ぶミュージシャンと共に繰り広げるアフロ・スピリチュアル・ミュージック・プロジェクトという意欲作で、本アルバム収録の「アイム・トライン・トゥ・ファインド・ア・ウェイ」の初演も収録する重要作となった。
70年代後半、カウエルは自身の演奏活動により集中するためにレーベルの運営から距離を置き、ファンタジー傘下のレーベルであるギャラクシーと契約。77年にソロ作(一部自演多重録音・ベースとのデュオ曲含む)『ウェイティング・フォー・ザ・モーメント』、78年にソウルフルなヴォーカルをフィーチャーした『トーキン・アバウト・ラヴ』、79年に盟友セシル・マクビーと名手ロイ・ヘインズという鉄壁のメンバーによるピアノ・トリオ作『エクイポイズ』(キャリアを代表する自作曲でありアルバム・タイトルともなった「エクイポイズ」のここでの合奏は、感動的なまでに素晴らしい)をコンスタントにリリース。そうして81年にいよいよ本作『ニュー・ワールド』のお目見えとなるのだが、先に記したように録音は78年の11月、つまり実は前作『エクイポイズ』と同じタイミングかつ同メンバーでレコーディングされたものだった。ストリングスとホーンを加えることで予算などもそれなりにかかったと思われるのだが、なぜ2年以上もの間この音源がお蔵入りとなってしまっていたのか、はっきりとした理由は定かではではない。だがそれまでのギャラクシーにおける3作品のセールス面での問題が少なからず関係していたのではないだろうかと推測する。そしてこの『ニュー・ワールド』も当時、お世辞にも話題になったとは言い難い状況であったのかもしれない。メロウ、スピリチュアル、またはグルーヴという角度から光をあてた際に浮かび上がるその内容の素晴らしさについては後にも触れたいが、フュージョン~ディスコ旋風が吹き荒れた70年代後半を抜け、世の中がよりエレクトリックな方向へ向かおうとしていた81年にリリースされた作品としては、あまりにもアコースティックでヒューマンなフュージョン(融合)・サウンドであった。事実、ギャラクシーにおけるアルバムとしては本作がラストとなっていることは、そのことを物語っているように思えてならない。
80年代後半から90年代にかけてカウエルを温かく迎えたのは、日本とヨーロッパのジャズ・ファンだった。ここ日本ではディスク・ユニオンのレーベルであるDIWが87年に『ウィー・スリー』、92年に『クロース・トゥー・ユー・アローン』を制作。「シエンナ:ウェルカム・マイ・ダーリン」の鮮やかな再演(メロウなファースト・ヴァージョンはギャラクシー期『ウェイティング・フォー・ザ・モーメント』に収録)や、来日の際に訪れた洞爺湖の美しい風景にインスパイアされて生まれた「ウインター・リフレクションズ」など、印象深い名演を残している。デンマークはコペンハーゲンの名門“SteepleChase”は、『シエンナ』、『デパーチャー#2』、『ゲームス』、『ブライト・パッション』、『エンジェル・アイズ』、『セットアップ』、『ライヴ』、『マンダラ・ブロッサムズ』、『ヒア・ミー・ワン』といったアルバムを安定したペースでリリース。充実の楽曲群をトリオ、カルテット、ソロ、ヴォーカルと、様々なスタイルでモダンなカウエルを聴かせる。また、その間本国アメリカでも89年に『バック・トゥー・ザ・ビューティフル』、90年に『ライヴ・アット・メイベック・レシアル・ホール』をコンコードより発表、99年には日本のヴィーナス・レコードに『ダンサーズ・イン・ラヴ』を吹き込んでいる。
マリアン・マクパートランド等との一部の共作を除けば、以上が僕の把握している彼の作品の主たるディスコグラフィーだ。そして無数に存在する参加セッションを聴き進め、一聴してそれとわかる独特のタッチに出会うことによろこびを感じるのもまた、ファンとしての楽しみと言えよう。
ここからは、それまでメインストリームのジャズ・シーンからは大きな注目を集めることのなかったスタンリー・カウエルという存在が今日こうして評価され、さらには本作『ニュー・ワールド』がリイシュー~世界初CD化という形に至るまで経緯を、DJ、またはリスナー・サイドの視点から記しておきたい。
80年代の終わりから90年代の初頭にかけて、イギリスのDJ達を発端に巻き起こったレア・グルーヴ~アシッド・ジャズ・ムーヴメントは、50年代から80年代にかけて生み出された古いソウルやジャズ、ファンクなどにダンス・ミュージックとしての新たな価値観である“グルーヴ”を求めた。一方U.S.のヒップホップ・シーンでは、それらをサンプリング・ソースとして再生・伝達する動きが各地で同時多発的に活発となっていた。結果、時代に忘れ去られてしまっていた音楽的遺産たちは、次々と“発掘”されていくこととなる。そうした中、ストラタ・イーストとその作品群は伝説的な存在として注目を浴び、94年にはイギリスのソウル・ジャズ・レコーズからコンピレイション『ソウル・ジャズ・ラヴ・ストラタ・イースト』が組まれ(続編である『ストラタ-2-イースト』も97年にリリース)、ここ日本でもそれに呼応する形で96年にはカウエルのストラタ・イースト時代のアルバムである『ムサ』と『レゲネレイション』がリイシューされた。こうしてカウエルの“スピリチュアリティー”から生み出された“メロディー”は、“グルーヴ”や“ダンス・ジャズ”の括りを軽々を飛び越え、より多くの人々の胸を打つこととなる(僕もまた、その中のひとりだ)。
時は流れて2003年、ビルド・アン・アークがアルバム『ピース・ウィズ・エヴリー・ステップ』をリリースする。アメリカ西海岸のアンダーグラウンド・ミュージック・シーンに多大な影響力とネットワークを持つカルロス・ニーニョの呼びかけによって結成されたこのユニットのファースト・アルバムは、ヴォーカリストのドワイト・トリブルを中心に、トライブの創設者であるトロンボーン奏者/作曲家のフィル・ラネリン、ピアニストのネイト・モーガンといった、70年代のブラック・ジャズ・スピリットを現代に伝える重要人物達を招いて制作された。ファラオ・サンダース「ユーヴ・ゴット・トゥ・ハヴ・フリーダム」、ゲイリー・バーツ「ピース・アンド・ラヴ」、マイケル・ホワイト「ザ・ブレッシング・ソング」、ロニー・ロウズ「オールウェイズ・ゼア」などの歴史的名曲のカヴァーを数多く収録する中、カウエル作の「エクイポイズ」のカヴァーは、作品全体の極めて重要なポジションを担う。このアルバムはジャズやヒップホップに限らずあらゆるシーンから賞賛され、2000年代を代表する一枚となった。
そしてその『ピース・ウィズ・エヴリー・ステップ』を世に送り出したレーベルであるオランダのキンドレッド・スピリッツが2006年に発表したコンピレイション『フリー・スピリッツーVOL.1』に、本作『ニュー・ワールド』の一曲目である「カム・サンデイ」が収録される。現在、最も信頼のおけるレーベルが、満を持して組み上げたスピリチュアル・ジャズのコンピレイションに、である。「アイム・トライン・トゥ・ファインド・ア・ウェイ」の別ヴァージョンを追いかけて、それ以前にこの名演に出会っていた音楽ファンは、なるべくしてシンクロすることとなった“時代の空気”の存在を強く感じたに違いないと思うし、このギャラクシー期のカウエルを初めて耳にするビルド・アン・アーク~キンドレッド・スピリッツの熱心なファンも、30年前すでにある地点にまで到達していた「クロスオーヴァー・ミュージックの完成形」と言い切ってしまっても過言ではないこの楽曲に、少なからずの衝撃を受けたのではないだろうか。そう、つまりは最新の音楽と同じかそれ以上に、今を生きる僕たちにとって、それが“心に響く音楽”であるということに他ならない。今回この『ニュー・ワールド』をきっかけにスタンリー・カウエルの音楽をこうして見つめ直す際、最終的に浮かび上がってくるのは、やはりそういうことなのだ。
実は僕は、主催する『ムジカノッサ』の名のもとに、ジャズのコンピレイションを制作する準備を数年前から進めていた。それはこの秋、ようやく二枚のアルバムとして形になろうとしている。コンセプトは、当初から変わってはいない。“ユセフ・ラティーフによる「スパルタカス~愛のテーマ」をフラッグに、これまであまり耳にされていなかったギャラクシー期のスタンリー・カウエルにスポットを当てる”こと。そしてその勝手な使命感は、このライナーノーツに不器用な形で反映されてしまったようだ。語りたいことはまだまだあるのだが、すでに指定された文字数を大幅にオーヴァーしてしまっている。それらはまた、別の機会にお話したい。
一昨年の2007年、SteepleChase期のアルバム数タイトルが初めて国内盤でリリースされ、まさにこの原稿を書いている最中に、長らく廃盤となっていたDIW期の『ウィー・スリー』もリプレスされた。こうして、静かにまた再評価が行われているスタンリー・カウエル。僕たちのラヴ・コールが本人に届いていることを祈るばかりだ。彼が愛娘である「シエンナ」の名と共に示した『新たなる世界』は、時代と世代と国境を越えていま、僕たちを導く。
2008年 7月 中村 智昭
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